紫摘みし野に出でて
〜『穂向きの寄れる片寄りに』sidestory01
「おや、。浮かない顔をしていますね」
「柊お兄様……。わざわざ聞かなくとも、その理由はご存知でしょうに」
春ごと、標野(禁足地)になっている大王の御料地で狩をするのは宮中の恒例だ。
人が足を踏み入れてはならない地だから、貴重な薬草が手付かずで残っていることも多く、
男性が狩をしている間に女性たちは若菜摘みをする。大抵は撃ち取った獲物で食事をするから、一日がかりになる。
ほとんどが狩りに出ているとはいえ、それでは御料地が無防備すぎるというので、風早や一部の武官たちは標野の
警護に当たっていた。野には一の姫、二ノ姫のご姉妹もいらっしゃるから、警護に者も隙なく見張っていることだろう。
………向こうから袖を振って、こちらの気を引こうとうする例外の者はいるけれど。
「まぁ、風早殿はどなたに向けて秋波を送ってるのでしょう?」
「あの温かな微笑みに、解かれぬ女心はないでしょう」
女官たちのさざめきはここかしこに起こっていて、勘違いであれば…と願いつつ私が軽く手を挙げれば、手を振る事を止めて
艶やかな微笑を深めた。自意識過剰なのではなく、正真正銘私に向けて手を振っていたらしい。
……途端に湧き上がった刺すような視線を鬱陶しく思っていると、件のように柊が声をかけてきたのだった。
私の苦い表情に笑みを零して、草を踏みしめ柊はこちらに歩いてくる。
青々とした匂いは春風に乗ると清々しく感じられるけれど、宮廷に住まう女性の関心を惹きつけて止まない人物が、また私の
目の前にいることに頭痛がしてきた。
そっとしてくれていたらいいのに。……風早も、柊も。
「そう愁い顔になるものではありませんよ。晴れがましき春野の行幸に相応しくない……。尤も、その控えめな衣装に相応しい、
玲瓏たる風情ではありますが」
「……私の記憶が間違えでなければ、お兄様も武人であったはずでは? こんな所で油を売っていて良いはずはないでしょうに」
「ええ。ちゃんと警護はしておりますよ。花に群がる俗な蜂を払うのも、これはまた役目というか役得というか」
「お・に・い・さ・ま」
「――――ほら、姫が心配なさる。『心ここにあらずとも、いつも微笑を浮かべなさい』と私は教えたでしょう?」
「……その教えは、いつも側での笑顔が見たい俺にとっては有難いものだけれど、心ここにあらずはいただけないな」
「風早?! ――――貴方まで任務を放棄してどうするの!」
柊が来たのはついさっきだ。つけ加えるならば、風早が袖を振っていても私宛だと確信がなかったくらいに、彼との間は離れていた。
なのに、いつの間にここにやって来たのだろう?
重い溜息と共にそう詰ると、いつものように頭を掻きながら風早は言い訳をする。
「ははは……。二人が仲睦まじく語らってるのが見えたものだから」
「気になったから来たというのですか? それは無粋な……」
「いい加減、妹君の寛容さに甘えるのは止めた方がいいんじゃないかな、柊」
「おや、はっきりいったらどうですか? 気に食わないのだと」
「うーん、そうだね。柊だけがさぼるのは気に食わないよ。それに、をつき合わせるのも」
「……優男の風情ながら、言ってくれますね」
「それは褒めてくれてるのかな?」
「冗談でしょう?」
「――――柊も風早も、本当に嬉々とした表情ですこと。ずっとそのまま、お二人仲睦まじくやってなさいな」
「え?」
「――――?」
聞いていて莫迦らしくなった私は、姉君と過ごされている二ノ姫様の元に侍るべく、浮薄な会話を続ける男二人を置き去りにした。
◆◇◆
狩猟の成果は良かったらしい。
宴には多くの獣の肉が供され、冬の間貯蔵して馥郁(ふくいく)とした香りになった御酒が回り、華やかな雰囲気になった。
仰々しく行事の次第をこなしてはいるが、赤ら顔の者たちから少しずつ砕けたものに変わっていっている。
その内に、御製和歌を初めとして和歌が方々から詠じられた。
『春の光』、『君が御世』といった女王を称える語句を配した、ありきたりな歌が続いていると、
「――――型に則った献上歌など、聞き飽きておる……。何か、趣向を」
女王がぽつりと宣(のたま)い、水を打ったように場が静まった。
「………ねえ、。お母様、ご機嫌が悪いの?」
「そうですね……。変わった歌が聞きたいそうですよ」
「じゃあ、が歌えばいいのよ。はお歌が上手だもの」
「ひ、姫様……!!」
慌ててお口を押さえたが遅い。子どもの声は高く、また場の雰囲気を読んでいらっしゃらない二ノ姫様の声は、驚くほど
響いたのだ。宴の隅々までに。
……視線が痛い。
「とやら――――」
「はい」
「我に献じよ」
「……御意」
ここで歌を献じなければ、二ノ姫様に恥をかかせることになる。
あの異端の姫は、ろくな従者すら側にいないのか…と。
腹を括ってその場に立ち、できるだけ抑揚を控えた声で謳いあげた。
「春の野に若菜摘まんと越しものを野守は見ずや袖振りし君」
(春の行幸で若菜摘みに来たのに、貴方があんまり袖を振るから気になります。野の番人が見咎めないでしょうか?)
「おお! まるで、相聞(恋歌)のようよ、の」
古来から、女性は恋話が好きだ。子を持つ熟年の女王とてそれは同じことと思って、仮に恋を見立てて謳えば、
身を乗り出して喜んだ。
これをきっかけに、言葉遊びの歌があちらこちらから捧げられれば、女王の気鬱も晴れるだろう…と仕掛けた訳だったのだが、
それは意外な所に波及した。
皇族の席からではなく、その宴の後方を守る中から一歩進み出て、凛とした声が私の歌に続いた。
「――――紫の匂へる妹(いも)に袖振りて遠く見やりつあくがれれども」
(紫草の香る野で艶やかな貴女に袖を振りながら、遠くから見ています。心は貴女を思い上の空なのですが……)
「か……」
ざはや、と叫びかけた口は、彼の甘く耀く黄金色の瞳に見惚れてしまったせいで、中途半端に止まってしまった。
ざわざわと場が賑やかになる――――それは、昼間の私たちの様子を見ていた者は、いらぬ想像を深めたであろうし、
そうでない者も、恋人なのか歌の上での戯れかと興味深々だ。
「見事じゃ。先の歌によく応じておる。……そこな武人も、たしか二ノ姫の従者であったな?」
「はい、母上様。風早とは私の従者です」
「――――才ある者を側に置くのはよいことじゃ」
「はい」
久々に母自ら声をかけてもらって嬉しいのだろう。
二ノ姫様はぎゅっと私の手を握って、蒲公英のような温かい微笑を向けられた。
◆◇◆
「そんなに怒らないでくれないかな、」
「………怒ってなんかないわ」
「じゃあ、機嫌を損ねないでくれないかな」
「言葉を変えただけで、同じじゃない」
「ほら、柊が言ってたじゃないか。いつも微笑みをって」
「――――たぶん、それは風早の姿が見えなくなったら戻ってくるわ」
「参ったな………」
疲れて寝てしまった二ノ姫様を背に負っているので、いつもように頭はかけない。
が、微苦笑して金色の目が細められるのを、私はちらりと睨みつけた。
「どうしてくれるのよ」
「うん? 何が?」
「………何でもない」
いろんな人に、根掘り葉掘り聞かれるのだろう、その度ごとに表面上の笑顔を貼り付けて対応しなければ
ならないのかと思うと、今だけ仏頂面になったっていいじゃないの…と思う。
実際は場が盛り上がって面目躍如だったし、二ノ姫様の評価も上がったから、首尾は上々なのだけど。
――――八つ当たりしたくなるのは、きっと風早が私に甘いからだ。
それが自分で分かったから、私はそれ以上何も言わなかった。
「そこで、柊を頼ったりして欲しくないな」
「――――え?」
「俺に何かを隠したり、何かを言ったりしなくてもいいんだけれど。……でも、柊にそれを教えたり、相談したりする
のだったら、俺は傷つくよ」
「………それって、おかしいわ。妹が兄に相談して悪いの?」
「悪くは――――いや。これは……俺の我が侭かな」
「何だか要領を得ないわ。よく分からない」
「……本来なら悪くないだろうけれど、貴女に頼られるのは俺でありたいと思うよ」
「風早……」
それは、どういう意味?
和歌は戯れのものであって、その熱っぽい瞳はどうして……あの歌のように私に向けられているの?
見詰め合ったまま二人とも歩みを止めてしまっていたから、揺れがなくなって二ノ姫様は起きたらしい。
寝ぼけ眼をこすりながら、尋ねてくる。
「――――かざはや……、橿原の宮に着いたの?」
「もう、すぐですよ姫。――――ほら、見てください。夕焼けがとても綺麗だ。……の綺麗な横顔まで、
赤く映えていますよ」
「――――っ…!!」
「紫草の白い花も、染め上げてしまうくらいに…ね」
また夢の中に戻ってしまったのだろう。
何も言葉を発しなくなった二ノ姫様の静かな寝息を聞きながら、早鐘のように打つ鼓動がどうか隣の人に
聞こえないようにと、ただ思った。
歩く私たちの頬に、初春の風は少し冷たく感じられた。
――――Fin
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相模セリ様へ
相互記念で、ご指定の拙サイト『穂向きの寄れる片寄りに』ヒロインと風早で。
心を込めて捧げます。
シチュエーションは有名な額田王と大海人皇子の萬葉和歌を下敷きにしました。
作中の和歌は姶良の自作なので、ご笑納下さいませ。
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*管理人コメント*
『Dreieck』の王野姶良様より頂きました相互記念、遥か4の風早夢ですvv
それも王野様の連載されている『穂向きの寄れる片寄りに』のサイドストーリーで書いて頂きましたっ!
もう本当に王野様の小説は何と言っても素敵過ぎるのですっ!作中に出てくる和歌もですし…
遥か4の世界観がそのまま表現されている様は読んでいるだけでそのまま引き摺り込まれる感じなのです!
こんな素敵な作品をどうもありがとうございましたっ!相模の宝物ですww(^^)