こぼれちる




  ここ最近、皆の様子がどこか変だとは思っていた。
  いつも顔を合わせる人たちがどこかよそよそしいし、帝なんてあからさまに様子がおかしい。

  何かしてしまったのだろうか。
  自覚は無い、けれど私の何かが気に障ってしまったのかもしれない


  「…どう思われますか、師匠…?」
  「悲愴な顔してからに、何があったのかと思えば…」


  呆れ顔の源信師匠の前で、ううと私は俯いた。
  忙しいのか、将臣を捕まえることも出来なくて、私にはもう師匠くらいしか相談できる人が思い当たらなかったのである。
  ふぅ、と師匠はため息を一つ。 そして、私の頭に勢い良く手を乗せる


  「お前さん、何かしでかした覚えでもあるのか?」
  「し…しでかした覚えは、ないんですけれども…」


  だからこそ、困っている訳で。
  けれど、そんなことをごにょごにょという私に、師匠はごくあっさりと言ってくれる。


  「なら、心配無かろうて」


  その言葉に、思わずがっくりと肩を落としてしまって。
  けれども続く師匠の言葉に、私は再び顔を上げた。


  「将坊ならともかく、お前さんが何かしでかすなぞありえんじゃろ。
   こと対人関係なら天地がひっくりかえっても何もしとらんはずじゃ」


  見通されている。
  苦笑のような微妙な笑顔でいる私を、師匠はさあさあと追い立て始めた。


  「さあさ、こんなところで油を売っとる暇はなかろ?
   今日は他の奴が相談に来る予定が入っとるからな、お前さんは自分の室で改めてじっくり考えてみい」


  言い返す暇もなく、階を降りさせられる。
  いつも通りそれを外してから、私は師匠の言葉に従って自分の室へと歩き始めた。





  「…行ったかのう……? 時間を稼ぐ必要も無かったわ」


  気配を探り、源信は手鏡をとりだす。
  や将臣の時代のものとは当たり前に異なり、映してもおぼろげな姿を見るのがやっと、というぐらいの鏡だ。
  ただ、今の源信は、自分の姿を見ようとしている訳ではない。
  それを持った彼は、光を採り入れている格子の嵌った窓によると、光を反射させたのだった。

  淡い光が、とある室へちらちらと瞬く。
  その上でしばらく待つと、同じくちらちらと光が返された。 ごく簡単だが “合図”なのだ。

  その合図を確認してから、源信はごろりと板床の上に寝転がった。


  「それにしても、肝心のお嬢を不安がらせるとは…
   将坊も、まだまだじゃのう」


  密やかな笑い声が、蔵牢に満ちる。





  そんなことも露知らず、私は相変わらず気分を沈ませたまま自室へと向かっていた。
  師匠にはああいってもらえたものの、やっぱり私に何か原因があるのではないかと考えてしまう。

  真剣に考え込んでいたからなのだろうか。
  気配に全く気付かず横から抱きつかれた瞬間は、まさしく心臓が凍りつくかのようだった。


  「紫苑!」
  「み、…みかど…?」


  ひぇ、なんて情けなさすぎる声を上げなかったのは、自分でも褒めたい。
  ただし続いた声は、かなりへろへろで、情けないことに変わりはなかった。

  いたずらが成功したようにきゃらきゃらと笑いながら、帝は私の腰に腕をまわし、横腹にぐりぐりと額をこすりつけてくる。
  彼の烏帽子が転がり落ちそうになるのを手で押さえ、私は入り混じる驚きと喜びに混乱していた。

  帝にも避けられていたはずで、なのに、どうして。

  けれど深く考える前に、ぐいぐいと腕を引っ張られる。


  「紫苑、こっちだ!」
  「え、はい…?」


  頭の中を疑問符だらけにしながら、それでも着いていく、と。
  そこには、たおやかな笑みを浮かべた尼御前が待ち構えていた。


  「こちらにいらっしゃい、紫苑」
  「え?」
  「誰かあるか! おばあさまを手伝うのだ!」
  「…え?」
  「さあ、紫苑。 こちらへ」


  ばさり、広げられたのは淡い色を基調とした装束。
  ふわりと薫る香が、何ともみやびやかな雰囲気だ。


  「…はい……?」
  「では、私は出ておるからな!」


  意気揚々とした帝が、私の隣をすり抜けていく。
  入れ替わり、入ってきたのは近江さんと楓さん。
  がっしりと力強く私の腕をつかんだ彼女らは、にっこりとそれは艶やかに笑って見せる。


  「さ、紫苑さん」
  「その装束、お脱ぎなさいな」


  いうが早いが、彼女らは脱がしにかかってくる。
  ええー…という私の声は、装束の海にのまれてしまったのだ。





  着ていた装束が剥ぎ取られてから、てきぱきと着付けられる。
  着付けが終われば次は化粧。 少しでも動けばにっこりと怒られてしまう始末で。

  やっとのことで全てが終わるころには、とうに太陽も昇りきっていた。


  「…これで、…如何でございましょう」
  「ええ…二人とも、やはり素晴らしいとしか言いようがないわ」
  「有り難きお言葉…恐れ入りますわ」


  ぐったりしてしまう私を尻目に、盛り上がる三人。
  何なのだろう、と考える元気も吸い取られてしまった気がする。

  そこへ、戻って来たらしい帝から声がかけられた。


  「入っても良いか?」
  「え…ええ、どうぞお入り下さい」


  尼御前たちは、まだ話し込んでいる。
  いいよね? と首を傾げながら応えを返せば、御簾を捲り上げて入ってきた帝は、私を見て立ち止まった。
  と、思うと顔中に満面の笑みを浮かべて駆け寄って来る。
  いつも通り抱き着かれるのか、と身構えた私だったけれど、その寸前で立ち止まった彼に拍子抜けしてしまった。


  「帝?」


  首を傾げながら呼び掛ける。
  それには答えず、帝は私をキラキラとした目で見上げたままだ。
  しばらく見つめ合って、そうして彼は、一層の笑顔を浮かべる。


  「よく…良く似合っておるぞ!」
  「あ…りがとうござい、ます?」


  一瞬思考が追いつかなくて、それから反射で口を開く。
  そんな私に頓着しない彼はこくこく頷いて、腰元に抱き着いてきた。


  「春の宵の…」
  「え?」
  「まるで春の宵の、星ようだ」


  衣装を崩さぬように気を遣ってくれているらしく、抱き着くというよりは、ふわりと触れるように。
  思わず合わせた目は、ゆるりと細められている。

  そして彼は、懐から何かを取り出しながら、あどけない声で、穏やかな調子で。


  「星はたとえ月がなくとも、淡く光っておるだろう?
   宵の空に数多あるのに、不思議に優しい。 少なくとも、私は好きだ」


  その時、後ろの三人はとうに話を終わらせていて。
  血筋、早熟、女心を掴むのが上手い、などと囁きあっていた。
  けれどいつもの無邪気さとは違う一面を見せ付けられた私は、それどころではない。
  なぜか頬を昇る熱に動揺しながら、いつものように帝の背をぽんぽんと叩く。


  「ありがとう、ございます」


  呟くように言えば、彼はするりと私に懐いて来る。 そして先ほど取り出した何か――扇を、渡してきた。


  「これを使うといい。 きっと、これも似合うと思うから」


  扇を開くと、ふわり、着物と同じ香が薫る。
  描かれた繊細な絵柄に見惚れていると、こっちだ、と手を引かれた。
  慌てて振り向けば、尼御前たちも着いていく素振りを見せている。


  「ど、どこへ?」
  「ふふん………それは秘密、なのだ!」


  そう問い掛けた私に、帝は飛び切りの笑顔で答えたのだった。





  再び手を引かれたままで歩いていく。
  尼御前の前を、なんて思ったものの、手を振りほどく訳にもいかず。
  そうこうしている間に、この時間なのに珍しく格子が下りたままの部屋までたどり着いた。


  「連れてきたぞ!」


  帝が、ほとほとと格子を叩きながら声をかける。
  すると格子が上げられた、のだけれど…驚いたのはここからだった。


  「敦盛さま…?」


  日の光の下で見るのは珍しい。
  そんな気持ちもあって目を見張れば、はにかんだような笑みが帰ってくる。

  そうして導かれて中に入れば、見知った顔が並んでいる。
  経正さま、重衡さまに知盛さままで。
  私が思わず立ち止まると、帝がするりと手を離して空いた席に座る。
  え、と思うと同時に脇をすり抜けていく尼御前たち。
  訳が分からず固まっていれば、ポンと肩に手が乗った。


  「よう、。 やっと来たな」
  「将臣? これ、一体何の…?」
  「まあまあ、いいから座れって、な?」


  背中を押されて、されるがままに席につく。
  尼御前の正面、帝のすぐ近く。 明らかに、私が座る位置ではない。


  「ま、将臣、ここは…!」
  「経正、敦盛。 それじゃあ頼むぜ」


  慌てる私に構わず、彼は二人に合図をだす。
  流れ出したのは穏やかで、けれど気分を明るくさせてくれる調べだった。

  宴だろうか、少しぎくりとする。
  帝が参加するそれを帝付き女房が把握していないなんて、間抜けにもほどがある。

  ただ、どれだけ頭の中を探しても、そんな予定はない。
  それに今朝の申し送りでも、一言も触れていないから……じゃあ、これは何だろう?

  首を傾げながら、隣の将臣を改めて見る。
  と、彼はにやりと笑いながら、こそこそと囁いてきた。


  「覚悟してろよ、って言っただろ?」
  「…? ??」


  やっぱり分からなくて、首を捻る。
  笑みを浮かべつづける将臣に問い掛けようとして、曲調の変わった音楽に視線を巡らせた。

  目に入って来たのは、ゆらりと立ち上がった知盛さま。
  宴の時はいつも定位置で、ほぼ動くことのない彼が立ち上がるなんて。
  失礼ながら驚いた私に構うはずもなく、彼は自分のペースで動きはじめる。

  着崩れた狩衣に包まれた腕が、ゆるやかに伸ばされた。
  剣を握るにしては綺麗な手もついと伸び、その先には舞扇が持たれている。

  ひといき、静止。 次の瞬間、袖が鮮やかに翻る。
  緩急のついた流れるような動きは、どこか鋭くもあった。

  艶やかで、そして美しい。

  噂では聞いていた、知盛さまの舞。
  敦盛さまや経正さまの楽の音も相まって、それは目も離せないほどに素晴らしいものだった。


  「今日」
  「え?」
  「ヒントは今日。 今日は何月何日だ?」
  「何月…日付、まで?」


  やっと慣れてきた月の異名を思い浮かべて、だいたいの日付も考える。
  満月があの日で、今日はそれから…
  そして、ふと。 あれ?と思った。


  「…わたしの…誕生、日…?」
  「やっと気づいたか」


  恐る恐る囁けば、将臣は笑みを深める。
  そして、頭を撫でようとしたのだろうか、手を伸ばしてきて…何故か引っ込めた。
  どうしたのかと首を傾げると、彼は苦笑して口を開く。


  「いや、プレゼントを無駄にすると後が怖いだろ? だから今日は止めとく」
  「? プレゼントって?」
  「尼御前が着物、帝は扇、重衡の香に経正と敦盛は音楽、それに清汰さんたちのお菓子。
   あと近江と楓に外見いじくられただろ、それもらしいぜ。
   ひょっとすると、知盛のあれも……いや、違うか?」
  「そう…なんだ……」


  最初は、頭が痺れたようにぼうっとしてしまって。
  そうしてじわじわと、染み入るように、嬉しさを感じてくる。

  将臣と目があった。
  微笑む彼に、我慢しきれない私の頬は、徐々に、ゆっくりと緩んでいく。
  じんわりと目尻に滲むのは、抑えきれなかった私の気持ちだ。


  「誕生日おめでとう、


  深みのある声に、優しい笑顔。
  彼の笑顔はいつぶりだろう、そう思うと、止められなくて。


  「ったく…泣くなよ。
   せっかく綺麗になったんだから、な?」


  毛先をつんとひっぱられる。
  堪えよう、と我慢はしてみたのだけれど。

  返事の代わりに、ぽろりと涙が転がり落ちた。





  (2010/09/19)

  将臣さん誕生日おめでとうございます! と言うことで、誕生日フリー第3弾。
  さりげなく、「約束は〜」の続きと言う設定になっております。 覚悟うんぬんは、そのせい。
  故に誕生祝であるにもかかわらず、祝って「もらう」作品と言う異色作。
  皆様のお気に召せば幸いです。

  ちなみに役割分担。

  香→重衡
  着物→尼御前
  化粧→近江&楓
  扇→帝
  音楽→経正&敦盛
  料理→清汰
  足止め→源信
  舞?→知盛
  企画立案→将臣







  【管理人コメント】…てな事で蒼嬢宅より頂いて来た将臣誕フリ―夢です! もう本当、蒼嬢の書かれる将臣は格好宜しくて仕方ないっ!
   連載設定な訳ですけど何よりあの世界観を見事に表現している彼女の文章はもう…素敵すぎるっ…!
   誕生日夢なのに祝って貰うって言う着眼点も凄いですよねー…読んでる内に思わず世界に入り込んじゃいましたよvv
   てな訳で掲載okのお許しは頂いていたので漸くupさせて頂きました!(いやね、相模が作業遅すぎて…;)
   蒼嬢!素敵な将臣誕フリ―夢を有難う御座いやしたっ!!(>_<)

                                                                   2010/10/18.掲載.