抗って抗って抗って抗って。
涙も涸らして傷付いてずたずたに切り裂かれて泥に塗れて血を吐き身体中を真紅に染めて
叫ぶ声すら失くしてしまっても。
足掻いて足掻いて足掻いて、見っとも無い程足掻き抜いても。
それでも、手を伸ばさずに居られなかったのは―――
『――… 見つけた…私の姫神子 ――』
“私”に、始まりの瞬間と言うものがあるのだとすれば、それは新たに生を与えられた、その時だったに
違いない。
人は、産まれ、そして…生きて行く。
「そうさね…。あんたの名は今日から、“”だ」
そんな中で、“自分”ではない誰かと出逢い、感情と言うものを、知った。
「初めまして――俺は、風早と言います」
「成程…では、貴女が噂の師君の義娘であり…私達の妹弟子になるのですね?」
「へぇ…、小さいのに、しっかりしてるんだな。お前は」
彼の人達に逢ったから…
「…自分が生きると言う事に…引け目など、必要ないと思うが?」
「ならば俺は…君とは対等でありたい。同じ道を歩く…『同志』として」
彼の人に出逢えたから、自分は、“心”と言うものを得りえた。
彼らと共に過ごした穏やかな時間は、私を“人”として成らしめた。
こんな他愛のない時が、これからも緩やかに流れてくれれば…どれ程そう思った事か…。
だが、私は知っていた。
否、きっと何処かで識っていたのだ。
『運命(さだめ)られた時は、決して、逃れようもなく訪れる』、と言う事を――
「――え?一ノ姫様の女官……私が、ですか?」
突如として降って湧いた話。
悩んだけれど、迷う必要は一つもなかった…筈だった。
「貴女がね?…やっぱり、岩長姫に聞いていた通りだわ」
出逢うべくして、出逢ったのだとしても…それは、自分の心に強く刻まれて。
「そうだな…何かあれば、呼べ。そうすれば、必ずお前の所へ来よう」
逃れようもなく、時は確実に近付いて来る。
「そうね…。愛しているわ、あの人の事を」
どうして? 貴女であれば、神が許す筈もない事を知っている筈なのにっ…
「誰が許さなくても、俺は想う事を止めねぇよ」
例えそれが、報われないものだとしても?
「それが彼らが選んだ道だと言うのなら…私は、彼らの想いの果てを、見届けなければならない」
――ああ、そうか…。
「止めに行くわ…黒き神を。彼と、一緒に――」
報われなくても、許されなくても…唯、一心にその相手を想い、貫き続ける…
これも、“愛する”事の一つの形なのだ、と。
「だから…これは、貴女にしか頼めないの」
嗚呼…何て酷いと、そう思った。
そう言われてしまっては、自分が決して裏切れないと言う事を貴女は知っているのに。
この時の為に、貴女は私を選んだのですか?
「――覚えておいて欲しい…神であっても、心は在るんだと言う事を…な」
泣き疲れた自分に、その声は届いていなかったとしても。
告げられた言葉の意味を、一ノ姫が選んだ道を…今であれば理解出来る。
「…これは…君の落ち度じゃないだろう」
理解…出来るが故に。
それが、“愛する”と言う事の報いであるなら辛すぎる。
だったら、私は…“愛する”人を決して作らないと、そう誓える。
何時か必ず、失ってしまうのならば――
傍に居て、慰めてくれた君の声は、とても優しかったのに…私は気付かない振りをした。
「…初めまして、ニノ姫様。本日より姫様付きの女官長を務めさせて頂きます、と申します」
仕えるべき主を失くしてから、数日―――『運命(さだめ)られた時』が動き出す。
「…か、なえ??」
「そうですよ、千尋。彼女は俺の妹弟子で…師君の義娘君です。今日から俺達二人が、千尋の傍で
何時も仕えさせて貰いますから」
今なら、思う。
「じゃあ、…今日から私は一人じゃなくなるんだね!!」
無邪気に嬉しそうに笑う、新しく幼き主となるべき少女と出逢った事…これが、自分と彼女に課された
宿命…その歯車が廻り始めた瞬間だったのではないか、と。
「…どうしたんですか?ニノ姫様…」
「ううん、何でもないよ!」
「そんな顔していて、何でもないって事はないと思いますが…?」
「はは…、千尋は君に名前で呼んで欲しいんですよ」
風早と共に、まだ幼い主と過ごす日々は思いの外、満たされた日々だった。
「私もっ…に、名前で呼んで欲しいの!!」
「うーん…でも、それだと千尋だけずるいですね。…、俺の事も呼び捨てで呼んで貰えませんか?」
「何で風早殿まで…」
「その方が、もっと仲良くなれると思うでしょう?忍人だけではずるいですよ」
ずるいとかそう言う問題でもない気がするんだけれど…。
そんな事を考えつつも、子どもの様に名を呼ぶ事を純粋にお願いされる事に、何処か嬉しさを感じたのも
事実だった。
「最近の調子はどうなんだ?」
「うーん…充実…してる、かな?」
「何でそこで疑問形なんだ…?」
呆れた様にあからさまな溜息を吐く彼の姿に小さく笑って見せる。
優しい人達…自らが守りたい人達と共に過ごす穏やかな、こんな日々がずっと続いたのなら――
…密やかに思っていたそれは、“私”には、大それた願いでしかなかった…。
「…っ、千尋っ!!」
赤く、赫く、辺りが全て紅に染まっていく。
「――っ、ぁ、っ!」
「千尋っ!っ!大丈夫ですかっ!?」
「…お前だけでは渡れぬだろう…俺が力を貸そう」
形あるものは崩れ、全てが、消えて行く…
「忍人…どうした?」
「いや…今、誰かに呼ばれた気がして…」
一面の赤から、白き光…黒い闇の奔流の渦へ。
『運命(さだめ)られた時』が、訪れた瞬間だった。
―――何処か、遠く…鈴の音が聞こえた気がした…。
時は、巡り。
「何だか…忘れちゃいけない何かが、ある様な気がして…」
「…は、…後悔していますか?」
「今を平穏無事に過ごせる。それで良いじゃないか」
「漸く…お会い出来ましたね、我が君…そして、。この時をどれ程待ち焦がれた事か」
全ては、導かれる。
「よく…無事に帰ってきたね」
『…お前の中には闇がある…。だが…何故だろう?とても…暖かい…』
「久しぶり…だな。また会えるとは…思っていたが」
「どうやらこの数年で、大きく成長したみたいだな」
伝承が指し示す、運命、へと。
「ほう…?中つ国に、これ程の女が居たとは気付かなかったな」
「へぇ…そんじょそこらの奴等より、よっぽど肝が据わってると見たぜ!」
「兄からよく、話は聞いていました。 貴女が、どの様な方なのかと言う事を…」
「あの時に、言っておいた筈だが…?何かあれば、名を呼べ、と」
誰も、逃れようもなく――
…遠くで、鈴の音が聞こえる。
それはまるで、自分の内に在ると、主張するかの如く…。
「――私の姫神子…お前は、何を望む…?」
私…“私”は……
自分の、願いは――
『俺は、君の事を、愛してる』
愛されなかった、自分。
愛する事を知らなかった、自分。
それでも、この自分の心に芽生えた感情が真の物であると言うのであれば。
私が、望むのは――
「 …叶えよう…それがお前の望みであれば――」
それは、雪の降る、全てが閉ざされた季節に始まりを告げた。
暗い、昏い闇の淵を彷徨いながら、
決して届かぬと知っていたとしても…
ただただ、手を伸ばさずには居られなかった。
何時かの夕暮れ時、金色に染まった葦原を――全てを包み込んだ、あの…
焦がれて、焦がれて、如何し様もなく求め続けていた、それは――
ヒ カ リ
(そして私はこれからも、手を伸ばす事を止めないのだろう。例えそれが、決して叶わぬ事であろうとも)
2009/04/24 再掲.