荊の姫
道辺の荊(うまら)の末(うれ)に這ほ豆のからまる君を離れか行かむ
(道に咲く野薔薇の蔓が絡まるように、固くしがみ付いてくる君と離れて、私は兵役に行かなければならないのだろうか?)
「……そんな歌が持て囃されているそうですよ。女性はたおやめ、かくあらん…と」
御前会議と名づけるほど大仰ではないが、二の姫の主な家臣や仲間が集まって話し合いをした後だった。
筑紫から仲間に加わった柊が、『そういえば』と断りを入れて雑談のように話し始めたのは。
が、その発言を聞いた途端に、不機嫌を隠そうともせず忍人は言葉を放った。
「くだらない。……そんな情報を仕入れてくるくらいなら、常世の軍の動向など実のあることを報告したらどうだ」
「ええ、くだらないことです。……が、これを歌っているのが自軍の兵だとしたら? 西征を控えた今だからこそ、こんな戯れ歌を
口ずさむのですよ」
「何? …西征を控えているからこそ?」
「さて。―――虎狼将軍にお咎めを受けた以上、私は別の有益な情報を得なければならないでしょうね」
「柊?!」
「失礼します。……しばらく軍を離れますれば」
「ちょ…ちょっと待―――」
ひょいと肩を竦めると、隻眼の男は席を立って優雅な仕草で二の姫に一礼すると、立ち去ってしまった。
――――過ぎ去りざまに、に意味深な視線を向けて。
その視線の意味を無言ながら皆に問われた彼女は、ひどく困惑した。
忍人の短慮をたしなめる必要があった。
確かに柊の何が本題か分からないような話の仕方は問題があったし、普段の彼の態度が態度だけに冗談めいた話のようにも
聞こえた。
けれど、皆が一同に集まる場所で重要な話し合いをした後…という状況であれば、冗談をするには唐突過ぎる。
何らかの意図があるかもしれないと少し待っていれば、博学の兄弟子のことだ。何らかの考えを聞くことができただろうに。
ともあれ、去ってしまった軍師はともかく気まずい場を作り出してしまった将軍に、どのように声をかけようかとはしばし逡巡した。
普段の彼女ならば、――――否。
相手が忍人でなければ、ばっさりと断罪していたはずの言葉が、出せない。
ここで彼を責めれば柊を擁護しているようにしか見えず、そう誤解されたくないと思うから。
「―――」
二の姫が助け舟を求めてきたので、その場に広がっていた口に出せない呪縛のようなものが途切れた。
嘆息を一つ。
それから、気まずい雰囲気なんて存在しなかったかのような華やかな微笑を顔に載せて、彼女はその問いに応えた。
「私と柊は同じ考え方をするわけではないので、あの人が何を最終的に言いたかったのかは分かりませんが…。ただ、柊が言っていた歌は
この時代のものではありません。昔この地方の兵が歌ったものだったかと。 …そうだったわよね、風早? 貴方の方が詳しいと思うけれど?」
「そこまで知っていて、どうして俺に振るかな」
歴史の先生をしていた風早に視線を向ければ、微苦笑をしながらも説明の続きを引き受けてくれる。
「の言った通りですよ。昔の歌を誰かが覚えていて、何となく広まったのでしょう。大まかに訳せば……、”君を置いて戦に出るのが辛い”ってとこでしょうか。
だから、柊がそんな歌が兵達の間でさかんに口にされるのは問題だ、と言うのも分かります」
「………そっか。先が見えなくてみんな不安だってこと?」
「ええ。先の戦乱で逃げてこの土地に来た者も、5年経てばそれなりに定着しています。そこを離れて戦いに出ることが不安なのは当然です」
二ノ姫が神妙な顔になって、従者の言葉に耳を傾ける。
その様子を見て、――――はほっとした。
柊の話の代弁者として無理やり矢面に経たされたのを、風早に説明を任せることによって有耶無耶にできたから。
その証拠に、一同はもう彼女ではなく主従の会話に耳を傾けている。
無論、視界には複雑そうな表情を浮かべた忍人のことは目に入っていた。
生真面目すぎる彼のことだ、場の雰囲気を険悪にしてしまった事に、居た堪れない気持ちでいるに違いなかった。
「指示を出す私達も、もっと兵たちに状況を説明する必要があるんでしょうね。 ―――柊の目的はそういうことだったかと」
「……ま、柊も柊だよな。そこでに説明任せて出て行っちまうのは、いただけない」
「耶雲、私別に任されたわけじゃ…」
「お前はそう言うがなー」
「それに、柊が取り上げた歌は私好きじゃないわ。そういう女性もいるけれど……母上みたいな人もいるのよ?女性はみんな
待っているものだと思われたら、ちょっと心外だもの」
「…っていうか、師君は別格あるいは規格外だろ?」
「、俺は何も言ってませんからね」
「一人逃げるなんて卑怯だぞ、風早!!」
「何も言ってないだけで、同じこと考えてるなら同罪よ。それに、風早。弁解ならご自身でなさいな」
ばっさりと突き放すと、長身の従者からは『手厳しいですね』と再び微苦笑が漏れ、もう片方の兄弟子からは『弁解ったって、師君相手にか?』と
叫び声が上がる。
そんな同門ならではの喧しさに、二ノ姫が目くじらをたてて怒り始めた。
「もう! 耶雲も風早も、うるさいよ! が止めてくれないとおさまらないんだから!」
「の一言はキツイからなぁ……」
同時に至る所で頷きあう姿があり、彼女自身は眉を顰める。
「ともかく…っ! 橿原宮を常世の軍から取り戻したら、国は落ち着いてもっと良くなる。そのための戦いだってことは、ちゃんと胸に留めておかないと。
いつ次の戦いがあるか分からないけど、それぞれの軍を把握しておく事も大事だから」
笑いの渦を両断するように、旗頭の姫はきりっと表情を引き締めて言った。
それを聞いた武人たちが口々に自分が為すことを言い合って、御前会議は閉じた。
◆◇◆
柊の莫迦。意地悪。腹黒。
忍人の性格など分かっている筈なのに、皆が途方にくれるような退座をしなくてもいいじゃない。
どうせ後で、『さて、貴女はどちらの味方に立ったのですか?』なんてしらっと聞いてくるだろうけど、絶対に無視してやるんだから。
……云々。
頭の中で一頻り悪態をつきながら、は回廊へと向う。
狗奴の民が多く集うその辺りに、忍人は行っただろうから。
気になって仕方がなかった。
さっき自分がしたことは喧嘩の仲裁ではないのだし、ましてどちらかを贔屓したつもりもない。
でも、忍人はどう思っただろうか。あんな気まずい場になるよう仕向けられて不快だっただろうに―――と心の中を占めることは
彼の心具合ばかりだ。
果たして、忍人は何をするでもなく腕を組んでそこに立っていた。
背後から見える彼が、どこか所在無げに見えてしまうのは……穿ちすぎなのかもしれない。
「忍人……」
「。どうした?」
「どうした…っていうか。…ちょっと忍人と話してみたかっただけ」
他の人相手ならばいくらでも出てくる言い訳の言葉は、何故かぎこちなく。
何故こうも忍人相手だと取り繕う事ができないのか…と、訝しいと同時に口惜しい。
来てみたもののどう言っていいやら止まってしまった彼女を見て、相手は黒い瞳をそっと伏せ、微かな笑い声を漏らした。
「―――損な役回りだな」
「え? ……そう?」
「………済まなかった」
「何が?」
恍けたところで、あの場で彼女が彼を気遣っていたことに気がついていると思う。
それを『損な役回り』なんて言う忍人は、優し過ぎた。
歩を進めて傍らに立つと、は無骨な武人の掌にそっと自らの手を重ねる。
「本当を言うと……柊の横っ面を張り倒してやりたい気持ちもあるのよ。常世の国に身を投じて音沙汰なくて、戻ってきた途端に昔と
変わらない態度でしょう? 私に対しては戯言や嫌がらせばっかり。本当に、散々心配かけたって事を分かってるのかしら?」
「……所在や安否が分からなかったのは君もだ」
「仕方ないでしょ。柊と違って、異世界に行っていた私は、知らせる方法がなかったんだから。それにしても、何だか一段と底が見えないように
なった感じがしない? あの人ったら――」
兄弟子を悪く言う言葉が際限なく出てきたところで、ふと重ねた手を下から握り返されて、ぐっと引き寄せられた。
元々近くにいたのだから、あれと思った瞬間にはもう腕の中だ。
「ちょ…お、忍人っ?」
「柊の事は考えるだけ無駄だ」
「…そ――う、ね」
抱き締められているのだ、とは思うのだけれど、それにしては軽い束縛すぎて。
言葉と行動に直接の脈略がなく、その意図は分からないけれども、頭上から降る声音からは労りが感じられた。
だから―――だと思う。
その温かさに釣られて、体を忍人の胸元の方へと傾けてしまったのは。
「……荊(うまら)の末(うれ)に這ほ豆のからまる君…か」
「―――忍人?」
「君はそういう女性ではないのだろう?」
「そうね、…たぶん私は引き止めたりなんかしないわ」
「だろうな」
「寧ろ叱咤激励して、背中叩いて送り出してしまう方じゃないかしら?」
「それは相手が俺であっても…だろうか?」
「え…っ?」
「いや………なんでもない」
途中聴こえた言葉は聴き間違いだろうか、と真意をと痛げに顔を上げれば、刹那に顔が背けられる。
引き止めて欲しいとも思わせるような言葉は、忍人らしくなくて。
………でも、普段から自分の事は一切口にしない彼だ。
漏れた言葉が本心なら、それがつい零れたことを嬉しいと思う。それだけ、何かを自分に許してくれているのだから。
「……柊や風早なんかは、君の事を『荊姫』とか言い出しそうだな」
「な、何よ、それ!?」
「……棘があると知っていても、つい花に魅入ってしまう。―――君の毒舌もそうだ」
「ええ…っ?! 毒舌って……」
絶句してしまった彼女の頭に、ぽんぽんと軽い衝動が二つ。
私は貴方には厳しい言葉を言ったつもりはないのだけれど、と反駁したくとも、もう相手は踵を返して去ってしまった後だ。
「な、何なの? ……忍人」
振り返り見ると、頼りなげな印象はきれいさっぱりなくなっていた。
ふと、肩の寒さには己をかき抱いた。
先程までの忍人の体で風が遮られていたのだと気付くと、再び頬に熱が集まって仕方がなかった。
道の辺の荊(うまら)の末(うれ)に這ほ豆のからまる君を離れか行かむ
(万葉集・巻二十・四三五二・防人歌・丈部鳥)
------fin.
***管理人コメント***
『Dreieck』の王野様から09管理人誕生祝いに頂いちゃいまいたっ!!うわーうわー、すっごい嬉しいんですがっ(>口</)
それも無理言って、拙宅の「ヒカリ」設定主人公で!とか戯言言ってみたら…何と書いて頂けてっ…幸せ者だぁ〜vv
しっかし設定がまだ殆ど出てない状態でこんなリクしてしまってごめんなさい;;
何か、相模への贈り物は「テーマ、万葉集!」らしいです、はい。うわーい、雅だ〜vv←絶対意味取り違え;
本当に素敵な忍人夢、有難う御座いましたっ(ぺこり)
20100216.