天津風、恋し月

  天津風、恋し月*1



  1*-再就職先は、ブラックでした。




  「あ、さん!すみません、ちょっと此方に来てもらえませんか?」

 他の同期と同じ様に門を潜りぬけようとしたは、しかし今後自分の担当だと言う黒スーツの女性の声に
 足を止めて振り返った。

  「え?何でしょう??」
  「ここでは少し…折り入ってさんにお願いしたい事がありまして…」

 よろしいですか?と聞かれるものの、こう言った場合経験上、まずこちらに拒否権がない物が殆どだ。

  「分かりました…」

 内心大きな溜息をついて、門から離れると大人しく担当についていく。
 さて、今度は何を言われるのか……一般的、からは既に大きく外れて予想だにしない事をこの一月ばかりで望まぬままに
 何度か経験した。
 滅多な事じゃあ驚かないぞーとか考えていたは、この数分後更なる絶句を味わう事になろうとは思いもよらなかった。


 ***


  「全く…何の罰ゲームなんですかねぇー、これは」

 は、先程同期達がくぐって行った門とは全く違う方向に位置する門の前にいた。
 結局、担当からのお願いと言うのはに新たな本丸の運営ではなく、既存の、ある本丸を引き継いで欲しいとの事だった。
 その本丸は既にある程度の整備は整っており、数本の刀剣も揃っていると言う。
 それならば当然ちゃんとした審神者がいるのではないか?
 何故引き継ぎが必要なのか??
 そんな当然と言っちゃ当然な問いに担当は少し言いづらそうに告げた。

  「実は……ブラック本丸、でして…」

 …………ん?この担当、今しれっととんでもない事言いやがらなかったか?

  「いや、ですので、さんにはブラック本丸の浄化、再建と刀剣達の心のケアをして頂いて、そのままその本丸の審神者に
   なって頂きたいのです!」

 さらっと人の心読めるんかいなこの担当……それも開き直ったのか何の躊躇もなくブラック本丸って言い切ったし…。

 その単語は研修中、端々で噂として耳にした事はあった。
 健全な本丸の状態を保つ事もせず、それを保持しなくてはならない筈の審神者が道に悖った行いを繰り返した結果、本丸を
 構築する空間そのものが澱む。
 またその空気に中てられただけでなく、刀剣達を自らの欲望の捌け口として扱う事で手入れなど一切せず、酷い虐待や性的な
 暴行、果ては気に食わない刀を折ったりと目も当てられない惨状を呈すると言う…。
 勿論、そこまで力のない審神者であれば刀剣達に殺されると言う例も少なくないらしい。
 まぁ、今回の件の審神者は政府によって粛清を行われたらしいが。

 だとしても、だ。

  「いやいやいやいやどう考えても私には無理だと思うんですけど!?」

 そんなのは実績と実力のしっかりした者がすべきであって、ちょいと歳は行ってるが完璧新人の取るに足らない自分がどう考えたって
 出来る訳がない。
 刀剣達の心のケアってカウンセラーした経験すらないんですが?
 それに、荒んでしまった刀剣達の恨みの鉾先は、先ず審神者に向かうのではないだろうか?
 そうしたらどうしようと生命の危機ではないか。
 嫌だ。まだ死にたくない。

  「いえ、さんなら大丈夫です!その為に、特別研修も受けて頂きましたし」

 …そう言えば、他の同期が休憩とかとってる時に自分一人だけ呼び出された事が何度かあったな…何か色々、印とか呪文の様な古文を
 教え込まれたと思うんだが、あれが特別研修ってヤツだったのか…。

 いやいやしかし、ちょっと待てよと思い至る。

 元々、あらかじめ自分にそんな研修を受けさせていたと言う事は、つまりは初めからそのつもりで―――

  「ええ、つまりはそう言う事なんです」

 あー…やっぱり。って、またさらっと人の心読んでるし…政府に勤めるとそんな能力でも見に付くんだろうか?
 いや、また論点がずれてしまっているが、上手い具合に転がされていた自分の浅はかさにもイラついて思わず声を荒げる。

  「冗談じゃないっ!だったら初めから騙してたって事ですか!?」

  「お怒りはごもっともです。ですがこの件に関してはあなたが適任だったんです」

  「適任って言われてもこっちは無理って…」

  「大丈夫です。さんは他の若い方とは違って社会経験も豊富ですし、それだけ不足の事態にもご自身で対応がききます。
   …それに、あなたにはそれだけじゃない才能と力がある」

  「いやそう言われても…」

 社会経験については、まぁ、納得出来なくもないが、それが荒んだ刀剣達とのコミュ力に繋がるとは思えない。
 それに自分に才能やら力やらあると言われた所で、全くもって実感すら湧かないんだが…。

  「私、さんに初めて会った時に、この人だ、って直感しましたから」

 私の直感は当たるんですよ?と笑う担当に、いやだけどそれはしかしと言い募るものの、結局お給金上がりますよ?更には引き継ぎ中は
 率先したサポートを資金的にも資材的にも行いますから!!と押し切られて今に至る。

 …本当、どこまで押しに弱いんだ自分…。

 そう言えば、審神者になる切欠も、急な失業を受けて明日からどうしようっ!?と半ばパニクってた所を担当に良いお仕事、ありますよ?って
 笑顔で押されて勢いに乗った様な気も…。
 
 仕方ないじゃないか、明日の生活を保障される程の安心感はないんだから。

 まあ何はともあれ、ここまで来たら腹を括るしかないか、と目の前の門を見上げる。
 門は他のとは違い、どこか暗く、隙間から冷気が漂ってくる様で思わず身震いする。

 …叶う事なら、引き返したい。
 正直不安ばかりで怖いのが本音だ。
 だがそれでも自分には、既に引き返す場所なんてなかったんだった―――

 パンパンっと両頬を叩いて小さく纏めた荷物の風呂敷包みを抱えると気合いを入れて向き直る。
 それをまるで見計らったかの様に、門がを招き入れるが如く、重い音を響かせて内に開いて行く。

  「さて、歓迎…って、訳はないよね」

 鬼と出るか蛇と出るか…いや、と言うより荒んだ刀剣が出る訳なんだけど。
 ごくりと緊張に息を飲み込むと、は腹を決めて門をくぐり抜けた。


 ***


 辿り着いた先は、まだ昼の時間帯だと言うのに薄暗く、今にも大粒の雨が降りそうで、不気味に稲光が低く立ち込めた曇天を
 走っている。
 それだけでも正に、だと言うのに眼前に建つ屋敷たるや…まだ新人の自分にだって分かる。

 この空間自体が、"澱み"だ。

 無意識に眉をしかめていると、これまた自動的に屋敷の門が開かれる。

  「お待ちしておりました!あなた様が、新しい審神者様ですね?」

 開くと同時、刀剣達に襲われても逃げられる様にと身構えてた所に掛けられた可愛らしい声に毒気を抜かれた。

  「えっと…君はー…」

  「こんのすけと申します!これより、政府とのパイプ役と審神者様のサポートを務めさせて頂きまぶっ!!?」

 語尾が変だったのは私が堪え切れずに小さな狐の姿をしたこんのすけを思いっ切り抱き締めたからだろう。

  「うわああああこんのすけメチャ可愛すぎっ!!ヤバい何だこの生き物!?そうか狐か!!」

  「さ、さにわさまっ…お、おちついてくださ…く、くるしい…」

 余りに抱き締めすぎたせいか、窒息寸前まで行きかけたのにはっと気付くと、ゴメンゴメンと腕を緩める。

  「いやあー、余りにモフモフだったのでつい」

  「も、モフモフって…びっくりしますので、今度からは急にはしないで下さいね」

 …て事は急じゃなかったら良いのか、とか考えていたら腕の隙間からひょいと抜け出された。
 残念、もう少しモフモフしたかった…。

  「とにかく、先ずは本丸をご案内致します。その後で皆さまにご紹介させて頂きますので…」

 皆さま、との言葉が指す意味に、すとんと冷静さを取り戻す。
 ああ、そうだった…既に自分は内側に居るのだ。

 私の後を付いて来て下さい、との言に従い、見に纏う緊張を打ち払う様に小さく息を吐くと、漸く本丸の中へと足を
 踏み入れた。


 
 こんのすけに案内されるまま、玄関、厨、前庭、鍛錬所と見て来たが状態は外側から感じた以上に酷い物だった。

 あちらこちらの壁には血痕が飛び、皹や亀裂が入り、そこかしこから荒廃の現状をまざまざと見せつけられた。
 例えるなら下手なお化け屋敷よりも悪い。
 その為、澱み、歪んでいる。
 この空気の中にあって、よく胃の中の物を戻さなかったと自分を誉めてやりたい。
 …気分はこれまでに感じた事のない程、最悪だったが。

 そして今向かっているのは、この本丸の大広間。
 残っている刀剣達に引き会わせると言うこんのすけに付いて行く廊下は、今までより更に暗く、立ち込める澱が徐々に足元に
 絡みつくかの様だった。

  「審神者様…着任早々、この様な事を申し上げる事…大変心苦しいのですが……」

 不意に先を行くこんのすけがポツリと呟く様に口を開いた。

  「きっと、これから審神者様にとって辛い事しかないかもしれません……ですが、どうか…」

 言葉尻が小さく震えていた。
 それと同時に、ああ、そうかと理解する。

 研修中、『こんのすけ』と言うのは各審神者に与えられるナビゲート役の狐型の式神でしかないと教えられた。
 確かに、それは間違いないのであろうが、それでもそこには意思が存在するのだ。
 それはつまり、心ある生あるモノとして…自分達と同じモノ、なのだと…。

  「どうか―――彼らをお救い下さい……」

 絞り出されたそれは、祈りだろうか?願い、だろうか?

 言われてみれば、このこんのすけは、前任審神者の頃から全てを見て来たのだろう。
 そう…前任が刀剣達に行って来た全て、を。
 ただ見るだけで、何の権限もない自らには何も出来なかった…苦しみや悲しみ、嘆きを目の前にしながらも何一つ出来ぬまま…
 ただ、見ているしかない無力さを知っている。

 その苦しみすら、幾許だっただろう?
 傷付いたのは、刀剣達ばかりではない。

  「…審神者様……?」

 無言のままの自分に不安を覚えたのか、おずおずとこちらに振り向くこんのすけの目の前にそっと膝を付くと、その頭を撫でる様に触れる。
 ……正直、自信がないのは確かだ。
 言ってしまえば全く不安がないなんて事はなく、不安ばかりが心を占めていた。
 出来る事なら今すぐにでも帰れるのなら…と何処かで考えていたのも本当だ。

 ――けれど、この小さな懸命な姿を前に、此処から逃げ出す事だけは止めようと思った。
 
 腹を決めてしまえば、何とかなるだろうと思える余裕も少しずつ出て来るから不思議なものだ。
 とは言え、自分に何が出来るのかと問われれば、出来る事など限られているのだろうけれど…それでも。

  「…はっきり言って、審神者のさの字にもまだ足を突っ込んだばっかりで、私なんて全然役にも立たないかも知れない…。だけど、
   私に、出来るだけの事はやってみる」

 それがこんのすけの求める、救いに繋がるかどうか…それすらも、今は分からないけれど。

  「審神者様っ…ありがとうございますっ!!この、こんのすけ…全力で審神者様をお支え致しますっ!!」

 自分の言葉に感極まったのか、小さな身体を震わすと必死に言い募るこんのすけに苦笑を零す。

  「あ、ありがとう…頼りにさせて貰うけど…まだ、これからだから、ね?」

 言って廊下の先を見通す。
 その暗闇の先にある扉に、まだ自分は手をかけてすらいないのだ。

 

 ***


 ……そうして、こんのすけに導かれるまま、辿り着いた大広間へと繋がる襖の前には立っていた。
 この奥に、自分がこれから向き合わなければならない者達が居る…。
 そう考えると僅かばかりの緊張が走った。

  「皆さま、新たな審神者様をお連れしました――」

 こんのすけが足元で告げると同時、そっと閉じられたままの襖に手を掛けようとして、ピタリとその手を止める。

  「審神者様?……っ!!?」
  「―――っ!!」

 微かには、感じていた。
 だが次の瞬間、破裂する程にまで膨張した複数の殺気と、こちらに向けられた明確な殺意を感じ取ったは、
 防衛本能の働くまま、咄嗟に後ろへと身体を自ら引き倒す事でそれらを避ける。
 しかし、それでも避けきれなかった切っ先が片頬を掠め、小さな痛みと共に一筋の赤が走る。

  「審神者様っ、大丈夫ですか!?」

 全身の毛を逆立て、慌てて駆け寄るこんのすけに大丈夫だと言う様に片手でその毛並みに触れながら、襖ごと断ち切られた奥へと
 向ける視線を決して外さなかった。

 一番前列に、斬りかかって来たであろう二人の刀剣男子と、その手にはそれぞれの本体を握り締めたまま。
 その奥の方に更に何名かの存在を感じる。
 そしてその全ての存在から感じる殺意を始めとした負の感情の渦に、は微かに眉を顰めた。


 幾らもない蝋燭にぼんやりと照らされて、絡みつくかの様な薄闇に支配された閉鎖された空間―――そこでは、彼らとの初めての
 邂逅を果たしたのだった…。



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